米国 プリンストン大学 機械宇宙工学 Ph.D.
1970~1971年 同大学 Post-Doctoral Fellow
1971年~ NIST(National Institute of Standards) 火炎研究部門 勤務
その間研究チームリーダなどの要職を歴任し
アメリカ合衆国商務省等から数々の表彰を受賞
2001年~ Maryland大学 Research Professor兼務
私がテニスを始めたのは普通部の1年の時でした。テニス部に入り校舎から少しはなれたコートでボールを打ちました。高校の2年間半は体育会のテニ ス部に 入 りマムシ谷の下の高校のコートで厳しい練習をしたという記憶があります。その頃(1959)は、大学の工学部の1年生は日吉で、上級生は武蔵小金井だった ため、テニスの練習は大学ではほとんど出来ませんでした。そのため以前から入っていた近くにある東京ローンテニスクラブでテニスをしました。2年になって 小金井にあるコートで時々テニスをしました。二年先輩に片岡さん、坂部さん、又、同級では竹並さん、一年後輩に寺田さんらがおり、この方々がテニスの上手 な人々でした。
このころ、宇宙が脚光をあびていて、若者の夢で、私もロケット燃焼に興味をもち、修士課程では慶應義塾大学で授業を受けながら、修士論文の研究は
駒場にあ
る東大宇宙航空研究所の山崎研究室で行い、固体推進剤の燃焼の研究をしました。その後、さらに夢を追って、プリンストン大学のSummerfield教授
のもとで1965年から同じテーマの研究を続け、1971年に博士号をもらいました。このころになると、追っていた夢がほころび(固体推進剤の燃焼研究は
軍が一番興味をもっている)もっと有効な社会への安全という意味で、National Bureau of
Standards(NBS、アメリカ政府の研究機関で商務省に属している)の火炎研究部門に1971年の9月に入り、高分子の燃焼といった高分子を燃え
にくくする研究を始めました。1987年に名前がNBSからNIST(National Institute of
Standards)にかわり、2001年の5月までそこで仕事をしました。ワシントン.DCから20マイル西北にあるメリーランド州の
Gaithersburgにあり(一部がコロラド州Boulderにもある)、所員数は約2000人です。
私達の火炎部門は応用研究(エンジニアリング)で、NISTの特長はそこの物理と化学の部門でノーベル賞を3人これらの部門からの人々がもらっていま
す。
外国からの訪問研究員(Guest researcher)プログラムを通じ年に沢山の(~800人)人々が研究に来ています.
1980年代には日本から沢山の若い人々が(官庁の研究所、大学、会社の研究所)来ていましたがここ10年位は日本からくる人の数が非常に少なく
なり、逆
に、中国と韓国からの人々の数が非常に多くなりました。あと多いのはヨーロッパで特にフランス、その他にインドからも多いです。現在火炎部門に来ている訪
問研究員は、イタリア、ハンガリー、中国、インド、イギリス、韓国と日本(東大の反応工学科で博士号をとった女性)からです。若い人が訪問研究員としてく
ることは長い目で見るとその人にとってプラスではないかと思います。若い人が日本から余りこなくなるのと関係がないかもしれませんが、アメリカの日常生活
からみると、日本の製品が少しずつ毎年、他の国のものに置き換わっているのがみえます。例えば韓国のSamsungとLGが日本のソニーやパナソニック
を、HyundaiとKiaがトヨタやホンダ、そして中国。日本は資源が少ないですから、世界での競争で勝っていくには教育と研究がしっかりとしていない
と難しくなると思います。中国と韓国からきている若い人々をみると(皆一生懸命、勉強と仕事をしています。1980年代の日本の若い人々に似ています)日
本の将来が心配です。これが一人の老人の思い過ごしであるといいのですが。
・編集後記
矢上会員に米国のNISTで世界的な研究者としてご活躍の方がいらっしゃると聞き,21期M
柏木さんに執筆をお願いしました.NISTは長さ標準や時間標準をはじめとする,様々な物理基準を決めるための技術を開発している(もちろんそれだけでは
ない)研究機関であり,柏木さんの原稿中でも紹介があるように複数のノーベル賞学者を輩出しています.そのように世界から優秀な人々が集まるという環境の
中で,柏木さんは長年研究チームを率いてご活躍されていました.
柏木さんに原稿をお願いしたのは,特に若い矢上会員や現役の学生の諸君にとっても,矢上会OBOGに海外でご活躍されている方々が大勢いるということを
知ってもらいたいと考えたからです.柏木さんの原稿を読んで,刺激を受けてくれることを期待しています.もちろん同期や先輩にあたるOBOGの皆様も当時
を思い出し読んでいただけるものと期待しております.
原稿にもございますように柏木さんは学生時代に米国に移り住みました.現在では日本語を使う機会はほとんど無いようにお見受けしました.実際に今回の原
稿
依頼のメールのやり取りも全て英語で行いました.最初は日本語で原稿を書いたことがないということで,執筆をご躊躇されておりましたが,ご無理をお願いし
て今回矢上会OBOGの近況報告原稿を書いて頂ける運びになりました.日本語入力環境が無いため,スキャナーで取り込んだ手書きした原稿をお送りいただ
き,それをこちらで電子ファイルに起こすという作業を行いましたが,原稿をとてもご丁寧に手書きしていただき大変感謝しております.
58期 田邉孝純
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