矢上会 OBOG近況報告 第4回
58期 河野 晴彦
2000年3月 理工学部 機械工学科卒
2003年3月 理工学研究科 開放環境科学専攻 博士課程修了
2003年8月 マサチューセッツ工科大学客員研究員 (至2005年1月)
2005年4月 コヴェントリー大学客員研究員 (至2006年7月)
2011年6月 マサチューセッツ工科大学 原子力工学科 博士課程修了
2011年7月 リーハイ大学 リサーチサイエンティスト (現在に至る)
アメリカ東部の街より近況報告させて頂きます。
私は現在、アメリカ東部のベスレヘムという街で暮らしています。今年の初め同期で主将を務めた田邉君からこの原稿の執筆依頼を頂いた時、
正直少し躊躇してしまいました。というのは、私はその時、33歳にしてまだ学生の身分だったからです。ただ私が挑戦してきたことが、少しでも後輩の刺激に
なってもらえればと思い、僭越ながら筆を取らせて頂きました。まずは、理工体現役時の思い出話から書かせて頂きたいと思います。
私が理工体硬式テニス部に入部したのは学部2年のはじまりでした。1年目に入部しなかった理由は、高校時代に所属していたバスケットボール部の練習が猛
烈に厳しかったので、学部1年時は部活に入る気力がなかったためです。入学から1年経って、もう一度本格的に体を動かしたいと思い、当時語学のクラスが一
緒で、現役時代に副主将を務めた井上君に相談したところ、入部を快く歓迎してくれました。テニスはほぼ初心者だったのですが、2年間矢上のコートで思う存
分練習を楽しむことができました。当時は千葉の海浜幕張から通学しており、朝練の時間には始発でも間に合わなかったため、その前日は元住吉に住む友人の家
に泊めてもらっていたことも良い思い出です。
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ポスドク時にお世話に
なったBathe教授と
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機械工学科の棚橋
隆彦教授(現名誉教授)の下で博士課程を修了した後は、目標としていたアメリカの大学でポスドクとして研究を続けることができました。研究先はマサチュー
セッツ工科大学で、有限要素法を基盤とした新たな流体数値解析手法の開発に従事しました。渡米した直後は英語の会話・リスニングにとても苦労し、例えば一
日の生活の中で分からなかった英単語、「こう言えばよかったんだ」という慣用句をノートに書き記して、帰りのバス停で反復練習したのを覚えています。そん
な状態でしたので、その当時の指導教官であったBathe教授には当初コミュニケーション面で大いにご迷惑をかけてしまったと思いますが、1年半のポスド
ク生活の間に満足のいく論文を2つ執筆する機会に恵まれました。同教授とはその後も共同研究を継続し、良い関係は今でも続いております。
アメリカで研究を終えた後は、日本学術振興会の海外特別研究員として、イギリス中部のコヴェントリー大学で、電磁流体の理論解析およびシミュレーション
に従事しました。研究自体は順調だったのですが、この頃から自分の研究の意義に疑問を持ち始め、このまま研究者として生きていくべきか悩んでいました。そ
のような時、「核融合」という言葉に出会ったのです。核融合発電は、放射性廃棄物を出さず、豊富な資源を用いて1万年以上もクリーンな発電を継続すること
ができる、まさしく究極の発電方式と言われています。半世紀以上の研究を経て、その分野を引っ張る日本とフランスのどちらに実用化を目指した最初の実験炉
(ITER)を建設するか、という誘致合戦が2005年に行われました。その記事をインターネットで読みながら、「世の中にはこんなにもスケールの大きい
研究があるんだな」と思い、それから、「今から勉強を始めても遅くはないんじゃないか」と考えるようになりました。色々と考えた結果、もう一度、今度はア
メリカの大学でこの分野を一から勉強する決意をしました。そのためには、まず日本の大学入試に当たる試験を受けねばならず、一日の研究を終えて寝る前の3
時間は、アメリカ人も受ける英単語試験の勉強に励み、準備ができた後はロンドンに行ってTOEFLとGREの試験を受けました。試験会場へ向かう電車の中
では、まだ迷っている自分と、それを振り払おうとする自分が戦っていたのを覚えています。
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MITのテニスコート
にて
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その後、アメリカのマサチューセッツ工科大学に合格し、2006年の夏にボストンに戻ってきました。Dept. of Nuclear
Science and Engineeringという学部に所属し、Plasma Science and Fusion
Centerという組織で核融合関連のシミュレーションに従事しました。大学院生として過ごした5年間は授業と研究で大変忙しく、本当にあっという間に時
間が過ぎていきました。そしてこの期間に、今まで休んでいたテニスを再開しました。忙しい学期の間でも、週末のテニスが唯一の楽しみになり、また、テニス
を通じて掛け替えのない多くの親友と出会うことができました。春と秋には、MITの学生同士が競うテニス大会も開催され、様々な国籍の学生との試合も経験
することができました。
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アメリカ物理学会でのポスター発表
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現在は、アメリカ東部のリーハイ大学という所で、研究職員として核融合関連の研究を継続しています。これからの道も決して平坦ではないと思いますが、自
分で決めた事をやり抜いて得られた喜びは掛け替えのないものです。慶應義塾で現在学んでおられる後輩の皆様は、色々な事に興味を持ち、失敗を恐れずに全力
で頑張ってほしいと思います。リスクを冒さなければ得られないものが世の中には確かにあります。ぜひ自分の力を信じて、素晴らしい道を切り拓いていってく
ださい。
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MIT卒業式 Killian Courtにて
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