矢上会 OBOG近況報告 第2回
45期 日森 敏泰(Toshiyasu Himori)
1987年 3月 理工学部 電気工学科卒業
1989年 3月 理工学研究科 電気工学専攻 修了
1989年 4月 NTT入社
1998年 3月 NTT 技術部 技術評価 担当課長
2002年10月 NTT東日本 サービス開発部 フレッツサービス推進室 担当部長
2005年 7月 NTT東日本 営業推進部 IPサービス部門長
2009年 7月 NTT 総務部門 人事・人材開発 担当部長 (現在に至る)
・はじめに
今回、田邉先生とご縁があり、ご依頼いただいたことから近況報告に出させていただくこ
とになりました。私自身はテニス部に初心者で入り、定期練習や自主練習では自分なりに熱心に練習はしていたものの、文武両道が基本でテニス漬けの生活を
送っていたわけではなく、当然ながらレギュラーとは無縁のごく普通の一部員でした。テニス部員として後輩の皆様に模範を示せるような人物ではなく、こう
いった場に出させていただくのは大変恐縮ですが、ご容赦いただきたいと思います。
テニスでの実績として特段記述できることはありません。ただ私にとっては、テニス部での活動は大学時代の生活の中心であり、良き先輩、同期、後輩に囲まれ
ていろいろなことを学び、悩み、また楽しんだ最も記憶に残るものであったことは間違いありません。
・理工体現役時
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1年生の夏合宿(菅平)での同期メンバーの写真
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志木高時代に弓術部に所属し体育会系の良さをよく知っていたので、出席必須の授業の多い理工学部への進学を選んだ時点で、学業との両立を果たすために理工
学部体育会の道を選びました。弓術部は無かったのでいろいろな部活を見て回る中で、クラブの活力があり、また華やかなイメージのあったテニスを選びまし
た。実際テニスは奥が深く、自身が考えていたような華やかなスポーツではなく、とても厳しい世界だったのですが、長続きしたのは、体育会の良さや尊敬すべ
き先輩方との出会いがあったからだと思います。先輩の中には初心者で入り努力してレギュラーになった先輩もおり、当初はそういった先輩方を目標に頑張って
いたのですが、実際には努力不足で足元にも及びませんでした。今、反省しても遅いのですが、努力し、克服していれば、もっと人間的にも大きくなれただろう
にと思います。ただ、活動の中で先輩方からご指導いただいた様々なことは会社に入ってからもプラスになることが多かったように感じています。
入部当時は体育会で練習が厳しかったこともあり、最初の3ヶ月くらいは部員の入れ替わりがとても激しかったように記憶しています。特に入部した同期の女子
部員のほとんどが定着せず、1名という時代が長く続きました(最後はゼロ)。何とか女子部員を増やそうという気持ちが強かったせいでしょうか、我々が上級
生になった時、楽しい部活にしようということで、練習のスタイルは変えなかったものの休日には皆でドライブに出かけたりとより良い雰囲気作りを目指しまし
た。おかげで女子部員は定着したのですが、一方でクラブの雰囲気が緩んだのでしょう。自分たちでは遊びと練習のメリハリをきちんとつけていたつもりでした
が、我々のマネジメントが中途半端となってしまい、部をうまく運営していくことができない状況がたびたび起こりました。遅ればせながら同期のメンバで何と
かしようと部のあり方の議論を重ね、皆一体となって部を盛り上げようと努力しましたが、かえってそういった経験をすることによって我々はとても多くのこと
を学びました。同期の一体感が強まったのも結果としてよかったと思っています。
思い出に残っていることとしては菅平での合宿があります。当時はまだスポーツ中の水分補給の必要性の観点がなく、どちらかというと根性で喉がからからにな
るまでの厳しい練習を行う時代でした。朝、午後の練習の最後にダボスというスキー場の斜面を駆け上っていましたが、我々以外はラグビー部しかやっていない
状況でした。つらかったですが、良い思い出です。
秋の対抗戦ではリーグ転落か否かというところまで追い込まれた時がありました。選手の方々の頑張りと周りの応援の結果、何とか残りました。私自身は、玉拾
いや審判等のサポート役を務め、直接、勝利への貢献ができませんでしたが、全員が一致団結して応援し、何とか勝ち残れた時の喜びは今でも忘れられないもの
になりました。また、審判であっても責任があり、緊張感の中で仕事を成し遂げたことは、自身にとってはよい経験でした。
個人的には腰痛で3ヶ月くらい練習から離れていたこともありました。前にかがむと激痛が走り、靴下が履けないほどでした。故障前は、練習が無ければ休め
てラッキーと思ったことも何度かありましたが、いざ休まなくてはならなくなると1年間くらいの長さに感じてとてもつらい期間でした。孤独感というか別の意
味でいい経験でした。
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3年生になる直前の春合宿でテニス部のメンバー
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部の役職として私は OB・OG会の会計という仕事をさせていただきました。OB・OG会費を管理する仕事で、多くのOB・OGから部の活動を補助するた
めの会費を集め、総額をいかに増やすか、日々対策を考え実践する仕事でした。当時、何名かの先輩に昼飯くらいおごってやるから会社に会費を取りに来たらど
うかとお声がけいただいたのですが、結局、実現できませんでした。今から考えてみれば、先輩からお話を聞ける貴重な場であり、ご好意に甘えて訪問しておけ
ば良かったと思います。
定期練習は土曜日のみであとは部員自主性に任せて練習をする部活でしたが、皆、それぞれの目標意識を持って取り組み、互いが競い、また教えあって技量を高
めていく、塾の独立自尊の精神に基づいたとても良い環境だったと感じています。
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3年生:遊びに出かけ
た時の写真
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プロモーションでイベントに参加した時の写真(Jリーグとタイアップし
ており、アワードに協賛者として参加した時の写真)。
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海外の大学で研修した
時の仲間
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・卒業後
テニスという意味では残念なことに卒業後は趣味として仲間と楽しむだけにとどまってしまったのですが、ただ、理工学部体育会の一員として厳しい練習を遣
り遂げてきたという自信と体育会出身というプライドがあり、会社に入ってもそれを背景に困難な場面で頑張ることができたように思います。諸先輩方からは、
大学時代にそこまで熱心にやっていないだろうと叱責を受けそうな気がしますが、自分自身で勝手に思いこみ、頑張れたことは事実です。
会社では主に開発系の業務に携わり、一般社員の頃は企業向けデータサービスの開発に従事し、その後大規模な商用インターネットの先駆けだったOCNサー
ビスの立ち上げを経験しました。会社で朝から晩まで働き精神的にも体力的にも大変な毎日でしたが、遣り甲斐もあり何とかこなしてきました。また、通信の規
格を決める国際標準化の仕事も携わっており、年に2回、スイスのジュネーブに出張していました。日本に不利になる提案へ反対し、NTTからの提案を採用し
てもらうために夜遅くまでドキュメントを読み込み日本の担当者との連絡を取り合い作戦を練りました。プレッシャーのかかる厳しい業務でしたが、こちらも何
とか頑張れました。
その後、管理職になってからは、スタッフ部門で新しいネットワーク構築に向けた技術戦略策定や国際サービス展開のための技術調査などに従事しました。
NTTの再編成でNTTが4社(NTT、NTT東日本、NTT西日本、NTTコミュニケーションズ)に分かれた後はNTT東日本に所属しADSL,
光ファイバ等のフレッツサービスの開発に従事しました。価格競争や速度競争の真っ只中におり、ライバル企業との競争の中で日々作戦会議をする忙しい毎日で
したが、とても充実していました。その後、営業にまわり、フレッツサービスの主管として販売・商品戦略や広告、イベント等のプロモーションに従事しまし
た。
・近況
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現在の写真
(会社:日本電信電話株式会社 前にて)
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H21年の7月よりNTT(持株会社)に転籍し、人事・人材開発の仕事をしています。ここでは、NTTグループ全体の人事制度の方針策定やグループ社員向
けの人材育成の仕事をしています。NTTグループとして各グループ会社間のシナジー効果を発揮させるために適材適所の人事配置やグループ一体感を醸成する
ための研修を企画しています。最近は、会社の人材を「人財」と記述しますが、モチベーションの高い優秀な人財を育てることは会社の発展に欠かせない最も重
要な仕事です。仕事柄、各グループ会社の若い社員と話をする機会も多く、自身にとっても新鮮でとてもよい経験となっています。
最近のNTTグループ全体の動きとしては、グローバル化の推進があります。遅ればせながら他の日本企業と同様にグローバル案件が目白押しで、海外企業の買
収等を積極的に実施しています。持株会社でも、昨年秋に従業員約1.3万人のディメンジョンデータというSI系の会社を子会社化しており、外国籍の社員数
がグループ会社全体の2割近くに増えてきました。実際に英語での会議をする機会も増えてきました。そのような環境変化もあり、私自身もグローバル人材の育
成の研修の一環で昨年2ヶ月間ほど海外の大学で勉強させてもらいました。その中で日本の異質さとダイバーシティの重要性をまさに体験して感じてきました。
テニスの方ですが、最近はめっきりプレーをする機会が減ってしまいました。そのため全体的に運動不足なのですが、一方で仕事柄お酒を飲む機会が多いことか
ら、最近はちょっと太り気味です。また少しずつテニス等で身体を動かす機会を増やさなくてはいけないと考えている今日この頃です。
同期の仲間とは、最近は残念ながらあまり会っておりません。2年前に行われた理工体の60周年記念のパーティに参加し、久しぶりに先輩、同期や後輩にお会
いする機会があり、とてもよかったのですが、今では細々と年賀状のやり取り等している程度で、もっと会う機会を作りたいと思っています。
・終わりに
テニス部での経験は、私自身にとって、今から考えてみてもかけがえのないものでありました。現役の皆様方にとっても同様だと思います。多くの先輩から素
直にいろいろなことを吸収するとともにとにかく自分自身がやりたいことにいろいろとチャレンジしてみてください。失敗も悩みもあるでしょうが貴重な体験だ
と思います。また、何でも良いから自分の得意なことを見つけて、こだわりをもって更に良い面を伸ばすように努力をすることが良いと思います。よい例とは言
えませんが、私自身は昔から長距離走に自信があり、これだけはメンバに負けないようにと常に1番であることにこだわってきました。当時の理工学部の運動会
の短距離のマラソンでも上位に入賞しました。テニスでも同様に自身の粘りや持続性のこだわりがもっと出せれば良かったのですが・・・・。
皆さんの世代はちょうど「ゆとり世代」と呼ばれ、学習の質の低下等いろいろと負の意味で話題になることも多いと思います。実際に私が参加している経団連
の教育の委員会などでも「ゆとり教育」「大学全入時代」といったことが話題になっており、教育の質をあげ、将来を切り開く人材を育成するために産・官・学
が一体となって何ができるか議論をしています。
しかしながら、独立自尊の精神の中で目的をもって自分のやるべきことをしっかりやっている皆さんにとっては「ゆとり世代」本当の意味での自身にとって自
由にやりたいことができるプラスの時代であったと思います。実際、私自身も付属校出身で受験戦争も無くゆとりある自由な時代を過ごしてきて、非常にプラス
になりました。今後グローバルな考え方で多様性を共有していく時代に突入し、今までの日本式のやり方、常識が通用しない世界に突入しています。今こそ、日
本のよい伝統・文化を残しつつ、常識の固定概念を破壊して新たな世界を生み出す時です。そういった時代には皆さんの活躍の場は多くあると思います。皆さん
の今後の活躍に期待しています。
最後にOB・OGテニス会には卒業後あまり協力ができていないことは私自身も反省しており、今後、いろいろと協力していきたいと思います。
・編集後記
日森さんは日本の情報通信を支えているNTTにてご活躍されています.現在では人事・人材開発の担当部長をされているということで,これから就職活動を
控える現役部員や若い矢上会員にとっても興味がある連載回だと思います.慶應義塾体育会矢上部硬式庭球部(通称:理工体テニス部)では大学からテニスを始
める初心者の入部も多く,つまり現在の矢上会員の多くは大学に入ってからテニスを始めたという方々です.日森さんも大学に入ってからテニスを始められたと
お聞きしましたが,記事を拝読して多くのテニス部の思い出や,またテニス部で頑張ったことが会社に入ってからも役に立ったと聞き,同じ部活に在籍していた
後輩として,このような素晴らしい先輩方のおかげで今の部活があるのだと感謝の気持ちを新たにしました.また東北大震災の影響で業務が多忙を極めるとき
に,原稿を書いて頂き大変感謝しております.
58期 田邉孝純